
2025.7.18 No.462 校長 山口 旬
今こそ伝統文化のススメ
現在公開中の映画「国宝」。いやこれはすごい面白いすばらしい。間違いなく今年最高の一本だし、歌舞伎好きにはたまらない至福の時間、歌舞伎素人も絶対にハマります。吉田修一の原作本は800頁の大作で、ドラマ化すれば10話相当のボリューム。それを3時間の映画にまとめれば大胆なカットは当然、登場人物、エピソードまるまる削除多数。また劇中演目も映画に合わせて変更。歌舞伎通曰く「どうして阿古屋じゃないの~」。
さて映画では『曽根崎心中』がメインとなりますが、主人公の喜久雄が師匠の病室で「七つの時が六つ鳴りて、残る一つは今生の、鐘の響きの聞きおさめ」と口にする件は浄瑠璃史上屈指の名セリフ。お初と徳兵衛の心中前の道行、あれを知っているか否かで流れる涙の量と質が変わります。心中を促すお初の足を首に押し当て、共に死のうと決意を伝える徳兵衛。お初を演じるもう一人の主人公俊ぼんは余命いくばくもなくその足は壊死しており、お初の「はよう殺して」が彼らの運命とダブるこの見事な構成は爆泣ものです。これ、ぜったいに近々歌舞伎座で曽根崎心中かかります。今上演しないでどうするんですか、今こそ演じ時に違いない。
ということで「国宝」フィーバーで歌舞伎に光が当たっている今こそ、300年の伝統を誇る歌舞伎の神髄に触れていただきたい。伝統芸能を未来へ継承していく責務を自負する輩は常に心に願っていることです。この盛り上がりで「やっぱり国立劇場を一刻も早く再建せねば」と世間の後押しになるといいのですが。
今年は松竹創業130年を記念して、歌舞伎座にて三大名作の一挙上演が決定。3月に上演された『仮名手本忠臣蔵』はすごかった。人間国宝片岡仁左衛門出演日は全日完売してもうチケットとるのが大変でした。さらに9月には菅原道真の周囲の人々の生き方を描く『菅原伝授手習鑑』、そして10月には源義経を軸に平氏滅亡後生き残った平家の人々を描く『義経千本桜』を通し上演。PTAでは秋にこの千本桜を観賞します。
義経千本桜は3つの物語からなっており「碇知盛」「いがみの権太」「狐忠信」の3人の主人公がいます。秋に観賞するのは先日のチラシの如く碇知盛が活躍するもっともスペクタクルな「渡海屋・大物浦」。ハイここからは平家物語とくに壇ノ浦の合戦を知っている人が盛り上がるところです。源義経と平知盛が一騎打ちをして、ついに平家は滅亡。「波の下にも都のさぶらふぞ」と女官とともに安徳天皇は入水。それを見た平家最強の強者平知盛は「見るべきほどのことは見つ」と碇を抱いて自ら海の底へ。ここが知盛役者の最大の見せ所。義経千本桜は「平家の英雄、実は生きてました」という話ですが、ラストは元ネタとかぶるような展開になり、満身創痍になったボロボロの知盛が巨大な碇を頭上に掲げて海の中に落ちていく。歌舞伎演目数多あれどここまで豪快な役もそんなに多くはありません。この場面で固唾をのむために観客は金を払っていると言って過言無し。
曽根崎心中も義経千本桜ももとはと言えば人形浄瑠璃で義太夫狂言といいます。今の人は歌舞伎は見ても人形浄瑠璃文楽はなかなか見る機会はありません。でも浄瑠璃における太夫の語りと三味線の音色は日本人の遺伝子に間違いなく組み込まれています。先日の伝統文化教室での三味線の音色に児童の多くがハマりました。ましてや曲目は「勧進帳」、6年生は社会で勧進帳をガッツリ学習しているのでおおー!と密かに盛り上がりました。オタクな授業もたまには役に立つ。低学年もおそらくほとんどの児童が三味線初体験。でもあの独特の深い音と拍子に子どもたちの身体は揺れていました。
人類が継承すべき価値のあるもの、それを文化といいます。その中で人類の宝だと認識されるものの一つが伝統芸能であり古典です。古今東西の文学作品、西洋のクラシック音楽やシェイクスピア、日本では能・人形浄瑠璃・歌舞伎。これらは数百年たっても人の性と普遍の真理を描くからこそ時を超えても価値が失われず、いまだに上演され続けています。現代のカルチャーで数百年後も継承される文化がどれだけあるでしょう。 教育は生きる力を育むと同時に、人類の宝をも受け継ぐ力を見につけていくものなのです。