2024.11.29 No.453 校長 山口 旬
みんなの師 谷川俊太郎さんを悼む
谷川俊太郎さんが亡くなりました。小学校教育に携わっている人ならば、谷川さんなくして今日の教育は成り立たないということが身にしみてわかっています。当たり前のようにスイミーを知ってるし、いるかいないかいないかいるか、かっぱかっぱらった、など聞いたことない人はいないでしょう。
谷川さんは、常に音楽に嫉妬していると語っています。音楽は意味にとらわれずに人を感動させる。でも言葉はどうしても意味から逃れられない。モーツァルトの音楽の数小節に匹敵する言葉が紡げたならばいつ死んでもいい。言葉は何をしても音楽にはかなわない。
私は一度だけ谷川さんを見かけたことがあります。
もう20年も前、渋谷NHKホールでNHK交響楽団の定期演奏会。私は当然の如く一番安い3階の自由席にいました。横を見たら二つばかり隣の席にどこかで見たことのあるご老人が。失礼ながら俳優のような貫禄もなければ服装もよれよれ古いジーンズでオシャレでもなんでもないフツーの人、フラッと立ち寄った程度の気軽さで演奏会に来ましたという体で顔を知らなければだれこのオジサン、という人でした。あれ、もしかして谷川さん? うわー、われら教育界の人間からすると神とあがめんばかりの雲の上の御仁です。神サマもっと良い席に座ればいいのに、印税で稼いでるだろうからS席で聞けばいいのに、と下賤の想像をよそに3階の激安自由席で楽しそうに演奏会を楽しんでいる。へえクラシック好きなんだ、そうか詩人だもんな、音楽は言葉を紡ぐ糧になるってことよね。
あの偉大なる詩人が私と同列に楽しんでいるのを見て、あぁこういう小さな楽しみと少しばかりの感動の積み重ねから数多の詩と心に染み入る言葉が生み出されるんだと勝手に納得&感動していました。様々な文化、音楽美術映画小説に触れて、谷川さんは名文の数々を生み出していたのでしょう。
シューマンだったかマーラーだったか当日の曲目は忘れましたが、共に聴いた音楽は谷川さんにとっては想像力の糧となり、いずれかの作品に昇華されたかも。膨大な谷川さんの作品群であの音楽のように流れる言葉の数々はそういうスイミーたちのような小さな感動の集まりから生まれたものだったのかもしれません。(一個人の勝手な想像) ちなみに谷川さんが無人島にもっていくのは本ではなく音楽、それも「マタイ受難曲」だそうな。「僕はベートーベンから入って、モーツァルト、バッハ、ヘンデル、ハイドン、みたいな感じで聴いてきました。みんなが言うほどショパンは好きじゃない(笑)」ですって。おお自分と一緒だ!となにげに自慢できる数少なきネタなり。 かつて教員研修で講師のエライ先生曰く「とにかく音楽を聴きなさい。美術館に行きなさい。映画を観なさい。本を読みなさい。そうして感動を積み重ねなさい。文化に触れ、心を豊かにしなければ人は育ちません」。この日から私は自分のオタク人生がついに肯定されたと狂喜乱舞し、自分も谷川さんと同じ音楽を聴いていたのだから仲間や!と勝手に解釈し、今も毎日のように魂を浄化するために好きなことに邁進していく日々を送っています。