
2025.4.30 No.459 校長 山口 旬
ドイツ語を話すイエス
今年のイースター(復活祭)は4月20日でした。
イースターは、クリスマスに比べるとイマイチお祭り感が少ない。それは日付が決まっていないから。クリスマスは誰がなんと言おうと12月25日です。だれも文句言わない。でも、移動祝日のイースターは、春分の日の次の満月の次の日曜日だから毎年違う。昨年は3月31日だったし、学校でも華々しくイースターを祝いたくても、カレンダー的に難しいのと、年度初めのバタバタしているときで余裕がない。
でも、キリスト教で実は一番大切なのは、イースターです。クリスマスは誕生日だからめでたいのは当然だけど、その時点でイエスはまだ何もしていません。キリスト教が宗教として認知されるのは、キリストの「死」と「復活」があったればこそ。この復活がすべての始まり。クリスマスの定番メサイアのハレルヤコーラスだって、復活を讃えての歌です(フライングでクリスマスに歌っているんです)。クリスマスの曲は明るく楽しい曲ばかりだけど、イースターは前提として受難、つまりイエスの十字架の死を語る必要があり、この題材だと当然暗く荘厳な響きとなる。教会でも子ども向けにイースター物語をしたくてもなかなか明るくならないんで、イースターエッグあたりで落ち着く。そこが難しい。クラシック音楽の世界では、クリスマスよりも復活に向けての受難の曲の方が大曲が多く、その最たるものがバッハのマタイ受難曲です。世界中でイースター前の聖金曜日には、この受難曲を聴きます。本気の教会は3時間のこの曲に説教祈祷をつけて、4時間くらいかけてイースター礼拝をします。コンサートでもいたるところで受難曲を演奏する。日本でもこの時期必ずどこかのコンサートで受難曲がかかります。今年もイースター前日に聴きました。
イエスさまってドイツ語しゃべってたって知ってます?(ウソ)
マタイ受難曲を聴くと、イエスのセリフはみーんなドイツ語です(そりゃバッハはドイツ人ですから)。ダス・イス♪とか、マイン・ゴットとかヴァルムハスドゥミッヒヴェラッセン♪とか、そうかそうか、イエスってドイツ語話してたんだ。私の中では、イエスのセリフはみんなドイツ語なんです。これってみんなバッハのせいです。
このマタイ受難曲は、イエスが十字架の死にいたるまでの詳細を細かに歌うバッハによる人類至宝の名曲。とくに後半クライマックス、十字架上のイエスの描写は、たとえドイツ語が分からなくとも聖書の流れを知っている者ならば誰もが涙する。エリエリラマサバクタニ。わが神わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。神の子イエスがただ一度死の間際に自分の父である神を疑った場面。一瞬でも父なる神のなされることに疑問を生じた人間イエスの姿なのです。この場面で聴衆は息を止め、イエスの死を見届けることになります。この時ばかりは誰一人咳払いや飴の袋バリバリなんて雑音を響かせる聴衆はいません。それほどまでに緊迫した雰囲気が会堂を支配します。
「信仰とは、自分の力だけでは確信の持てないことを信じることだ」とは、いま上映中の映画「教皇選挙」の中の台詞。信じるとはいかに難しいことか。イエスの最期の言葉、マタイ受難曲を聴くと毎回そう思わされるのです。
来年のイースターは4月5日です。入学始業式の前日。うーん、また厳しい日程。
※ちなみにこの「教皇選挙」、すべてがそのまんまではないが「信仰とはなにか」を問うにはうってつけの内容でした。実際の教皇が天に召されたことで行われるコンクラーベ。あまりにもタイムリー、しばらくロングランが続くでしょう。