小学校だより 2025年7月

2025.6.30  No.461  校長 山口 旬

ブルックナーの神の音

 アニバーサリーな作曲家はこぞって演奏会にかかる。今年はショスタコービチ没後50年ということで、さまざまなオケがショスタコオンパレード。年間演奏会の3割がショスタコという楽団も珍しくない。このショスタコは独特の不気味な響きと荒れ狂う激しいリズムと大音響で難解の極致。決してうっとりとするような美しい音楽ではない。迫力勝負。だいたいそういう作曲家って聴くのに体力のいる曲ばかりなところが強者を自負しているオタク心に火をつけてしまう。俺はわかるんだすごいだろって。それがマニアの血なのです。

 昨年はブルックナー生誕200年の年なので、クラシック業界の中でもオタク中のオタクであるブルオタ(ブルックナーオタクのこと)は勝手に盛り上がっていました。クラシックコンサートでも特異な人が集まるのがブルックナーの演奏会。ほとんど友だちのいなさそうな近寄りがたいオッサンばかりが会場を占めるのがブルックナーなのです。(もちろんまともなファンも大勢います) というのもブルックナーの音楽は難解の極み。初心者は9つある交響曲どれも同じに聞こえる。しかし一度ハマるともう抜け出せない。クラシック愛好歴数十年の人のみぞ知るその真価、それがブルックナー。だからブルオタは「俺たち修行を積んだ強者」意識が強く、今日はホルンの出だしがどうとか木管がレガートになってないだとか弦の弓使いが違うとかあそこでどうしてフォルテなんだとか、まあとことん面倒くさいオッサンばかりなのです。たぶんこの人友達いないよな、家族にも相手にされず一人ぽっちで聴きにきているよねぜったい、なのに本人は「ブル様の神髄がお前らにわかってたまるか」なんて言うもんだからそりゃ孤独になるよね、という人たちばかり。通常のクラシックの演奏会は幕間の女子トイレは長蛇の列、でもブルックナーの時だけ男子トイレが大混雑します。

 そんなわけで昨年はクラシック業界ではやたらブルックナーがかかりましたが、それでなくてもブルックナーは固定ファンがいるので頻繁に演奏される時代になりました。とくにアニバーサリーだとかぶるときは在京オーケストラの定期演奏会が軒並みブルックナーばかりになりブルオタは大変です。どこ行っても同じメンツがいる。うわ、あのおじさん今日も来ているよ。決して安くはないクラシックコンサートに散財して家族からも敬遠されているであろう方々、向こうもこっちを見てあいつまた来てるなと思っているでしょうからお互い様です。

 ブルックナーは生誕記念で昨年から研究本が乱立。私もオタクのクオリティーを維持するためには読まずばなるまい。ブル様は私生活では全く風采の上がらない小心者の田舎者でいつも人の評判を気にして臆病でビクビクだったというのが定説。そのくせこの世で最も美しい音楽を書いている自負(実際ハマる人は狂う)と、そんな自分には最も若く美しい美少女が嫁に来るのが当然神のご意志であると信じ、片っ端から美少女とお知り合いになると出会ったその日に求婚したとかなんとか。当然現代語でキショイと言われ落ち込むけど数カ月後には別の娘に声かけて呆れられる。すごい度胸だけど今も昔もそういう人は嫌われます。

 でもそういうアララな人ほど美しい神の音楽を生み出すものなのです。モーツァルトも当人は下品の極みだったのは有名。ベートヴェンは偏屈だし。芸術家ってちょっとズレているからこそ人類の至宝を生み出すことができると言われて納得です。(もちろんいい人もたくさんいます) だからブルオタのみなさんも、近寄りがたいけどたぶん話せばいい人、と思う。雰囲気的に声かけるのには勇気がいりますが。私も同類ですけど。 敬虔なクリスチャンだったブルックナーの音楽はすべて神のために書かれたものです。食べていくために時の権力者に媚びて献呈はすれども、すべての曲は神にささげている。彼の音楽には人の感情がないと言われます。すべては神を賛美する音しかない。だからストーリーのようなものはなく、同じリズム同じ旋律をしつこいほど繰り返す。心地いい和音があると子供のように飽きるまで弾き続ける。こうして神の音を限りなく積み重ねるとこういう大伽藍が完成する。まさにパイプオルガンの最高音量のごとき響きなのです。その神のハーモニーの大音響を聴きたいがために世のブルオタはすべてに優先して足繫く通うのです。

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