小学校だより 2025年6月

2025.5.30  No.460  校長 山口 旬

小さな奇跡がいっぱい

 言葉で感動させるのは、詩人や作家です。言葉一つで、人生を左右させる。小学校だより昨年6月号の不滅の応援ソングを作詞した方々、12月号で書いた谷川俊太郎さんは、その力が抜きんでた方でした(HP参照)。

 音楽も、日常的に心を動かすアイテムです。作曲者の意図とは別に、純粋に美しい音楽は人の心を癒します。神から寵愛を受けたとしか思われぬ天使の歌を書くモーツァルトは稀代の礼儀知らずで下品極まりない男。『アマデウス』でサリエリが嘆く「神はあの下品なモーツァルトに天の才能を授け、信仰篤き自分にはその才を見抜く力しかお与えにならなかった」。また、映画音楽について、スピルバーグ曰く「監督は涙を瞳までもってくるが、涙の滴をおとさせるのは音楽だ」という。音楽の力で人の心は動く。音楽は、それ自体に「意味」はありません。あくまでも、聞いた人が美しいと思うかどうかです。

 そして純粋に、声の力だけで人を感動させることもあります。私は90年に一世を風靡した3大テナー夢の競演で、人間の声がこんなに偉大なものかと開眼し、それから本格的にオペラの虜となりました。パヴァロッティの凡人をはるかに超えた神の高音に圧倒され、カレーラスの哀愁を帯びた悩める青年の叫びに恋をしました。

 たった一声の威力、運動会の予行練習で降りてきました。応援団のエール交換。この応援団の声に、「うそだろ」とつぶやく自分。え? これ、あの子が叫んでるの? マジ? 普段の姿からは想像もできないすさまじい掛け声で、それこそたった一声でこちらは声もなく圧倒されたのです。そしてそのまま本番、満場の雰囲気にひるむことなく響き渡る叫びに、奇跡の一瞬を感じたのです。

 あの場で、あれだけの人前で、あの声を出す度胸。リレーのコーナーを回るときのあの鬼の形相。あの力っていったいなに。それが運動会という特殊な場面が織りなす奇跡なのです。本気の眼差し、必死の叫び、普段出ない力を出す、勝つために全力全開で燃やし尽くす、それができるのが、運動会なのです。

 この原稿は、3回目の差替えです。運動会ネタは昨年書いたし、この時期決まってこの話題というのも芸がないので、今年はもういいや、違う話題にしようと思い、ペンテコステ話で入稿していました。ところが、予行練習を見ていて、これは書かずばなるまいとあわてて書き直して差替え。そして、運動会本番でまたまたこれは書かずにおられぬと再び差替え。それだけ思い入れと伝えねばならぬ事柄と感動のあまりにも多いのが、運動会なのです。

 運動会後の反省会(会場はどこかはナイショ)で、我ら教員は自らの感動した話を涙ウルウルで語りまくり。あの場面で○○が○○したことで目つきが変わった、あの時の○○の一声でスイッチが入った、まさかあの○○があんな形相で走るなんて、いつもはあんなだったのに本番であそこまでするとは。それこそ小さな奇跡の目撃談オンパレードがエンドレス。間違いなく運動会は人の成長を前進させ心を豊かにしまわりを幸せにさせる必須行事だね、こんなに人を感動させる運動会っていったいなんなんだハイ乾杯。運動会後のあんなことあったこんなことあった話をするときこそ、教師になってよかったと幸せをかみしめるもので、これって他の行事にはないことです。

 横須賀学院の運動会は、徹底的に勝ち負けにこだわります。たまにはムキになってもいい。力の限り本気になって勝利を目指す。それだけ力を出し切ったら、勝ってうれしい涙も負けて悔しい涙もすべてが糧。見たこともない真剣な姿、その一瞬に見えるたくさんの小さな奇跡の積み重ねが声と表情と涙となり、その姿に歓びを見出すためにこそ運動会は毎年開催されているのです。 

 これだから運動会はやめられない。

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