小学校だより 2025年3月

2025.02.28  No.457  校長 山口 旬

ニチアサ賛歌

 毎週日曜の朝にやっているスーパーヒーロー番組を、ニチアサといいます。2月は番組再編でスーパー戦隊ものが最終回と新番組でオタクは夢中です。日本ではスーパーヒーローものは子ども向けと言われますが、アメリカ映画ではスパイダーマンもアベンジャーズもバットマンも大人の鑑賞物。物語も暗く、トラウマやら政治やらが絡むと大人はきれいごとを言うヒーローよりも悪の側に共感しちゃうので、アメリカ映画はヒットを狙ってそこを描くのです。
 対して、日本のヒーロー番組は昔から悪の計画がセコイのです。だから子どもだましっていわれてしまう。どうして地球制服を企む悪の帝国が、日本の片田舎の山の分校や離島の海岸で一般の少年を襲うんだ? 狙うんなら首相官邸か狙えって。ハイ、そこは番組にかける予算の違いです、数百億円の予算で作るアベンジャーズと、おもちゃとお菓子のCM収入で作る仮面ライダーの決定的な差。なんて身も蓋もないことを言ってはいけません。最近は番組も進化して、やたら設定が高度で難解。セリフも大人のドラマそのまんま。幼稚園児聞いても絶対わからないこと織り込み済みで、ハマるのは一緒に見てる親世代です。最近のニチアサはウソでしょっていうくらい展開が複雑で、会話は大学院生レベルで理解不能。1月に終わったウルトラマンアークの難しかったこと。2月に最終回だった爆上戦隊ブンブンジャーは怒涛の展開で大人は大興奮、小さい子は変身するまでポカーンとしてるんじゃないかしら。
 ブンブンジャーは、もとはといえば困ってる人を助けたい人たちで、バットマンのような屈折した大人ではないわかりやすい善意の人。たまたま宇宙から侵略者が来ちゃったんで、戦ってますという設定でした。そこに長寿番組の秘訣である「メッセージをいかにこめるか」がある。日本のヒーローものは、子どもにダイレクトに語り掛ける真理に満ちております。今回のブンブンジャーのテーマは「君は自分のハンドルを握っているか」で、常に「自分の意志で行動してるか」を問うていました。「未来を切り開くのは正しいと思ったことを自分の意志で行動する人だ」。
 そしてヒーローの行動原理が「困ってる人を助けたい」というベタな理由。最終回の胸熱シーンのセリフの応酬は見ていて「超かっけー!」と叫んでしまう。敵のラスボス「俺の惑星は悲鳴だらけの星さ、だから他の星の奴らも悲鳴をあげさせるのさね。俺を倒しても悲鳴はなくならねーよ」。自分がこんなに不幸な目に合ってるんだから、ほかの奴らにも味あわせてやるわという負の連鎖。誰かを貶めて憂さを晴らす。人の苦しむ姿を上から眺めていたい。人の不幸は蜜の味。これって現代の我ら大人が必ずはまってしまう沼そのものです。ちょっとでも不快なことがあると全部誰かのせいにして非難攻撃。自分で乗り越えようとしない。それこそ他人にハンドル預けて自力で進もうとしない。自分だけは損したくない。不快になるのが我慢できない。他人が得することが許せない。だから人を攻撃していつでも人より幸せでいたい。
 それに対してヒーロー側はガチな正論です。悪の論理に対して傷だらけのヒーローが啖呵を切る。
 「悲鳴を聞いたら誰かが駆けつけ、困っている人を助ける。そうして助けられた人が、今度は誰かほかの悲鳴を聞いて立ち上がる。その連鎖を宇宙では愛というんだ!」これ居酒屋でおっさんが真顔で言うとドン引きだけど、フルオケのBGMで傷だらけのイケメンヒーローが叫ぶと胸熱のアドレナリン放出でカタルシスマックスです。
 善意の継承は誰かが始めないといけない。だから自分がその起点となって愛の連鎖を紡ごうとしている。助けられた子どもたちが今度は自分が大人になったときに別の子どもを助ける。人類が地球上に存続する価値はそこにあるのです。だからこそ子どもにこの姿をみせるためにヒーロー番組を作らねばならんのです。
 愛の連鎖、聖書ではそれを隣人愛と呼びます。イエスは我らと同じ高さまで降りてきてそれを説いた。
 「あなたも行って同じようにしなさい」」(ルカ10.37)
 実は、言ってることがほぼ聖書の教えとまるかぶりなヒーロー番組は、隣人愛のかたまりです。
 だから、子どもだましと思わないで、YouTubeばかりでなくたまにはヒーロー番組もみてみましょう。

2024年度

4月5月6月7月7月-29月
10月11月12月1月1月-22月
3月
目次