「幸せのためにお金がほしいという文章はあるが、お金のために幸せがほしいとはいわない。従って幸せの方が上位である」(アリストテレス『ニコマコス倫理学』…矢野和男氏の『予測不能の時代』に引用されていたものを使わせていただきました)
世界の学校の「夏休み」を調べてみました。アメリカは約3か月、カナダやフランスは約2か月、この国々の夏休みには、宿題がありません。子どもたちは「うらやましい!」と叫ぶでしょうか。でも、ちょっと落ち着いたら、それでも不安になって「でも3か月も休みで宿題もなかったらどうなってしまうんだろう」と不安になる声もきっと出てくるようにも思います。
そんなことを考えていたら、そもそも学校って何のためにあるのだろう? なぜ、勉強ってしなければならないんだろう? そんな疑問が浮かびました。これまで教員として働いてきた経験の中でも、「なんで古文の勉強なんてしなくちゃならないの?」「微分積分なんて社会に出て必要なの?」「文法なんて知らなくても、喋れれば良いじゃん」などなど、時には冗談っぽく、時には極めて真剣に、そう尋ねられましたことがあります。「将来のため」「今やっておかないと後で苦労するから」「それが子どもの仕事だから」などなど、答え方も相手の表情に合わせて答えてきましたが、改めてきちんと考えてみましょう。
まず、子どもたちがそう尋ねる理由は「やらされている」と感じているからでしょう。では、子どもたちが「やらされている感」を持たないためにはどのような動機付けが有効なのでしょうか。これまでそう答えることがなかったわけではありませんが、実は将来の不安をあおる言い方は決して好手とは言えません。The Blue Heartsも「♪先生たちは僕を不安にするけど、それほど大切な言葉はなかった♬」(『少年の歌』)と歌っています。
それよりも、今の幸福感に直接つながるような、その幸福感の延長線上に将来があると感じられる言葉、そんな言葉を伝えたい…そう考えて、夏休み前、最後の礼拝の時に子どもたちにはこう話しました。「人に言われてするのでなかったら、勉強ってとても楽しいものだよ」と。
そしてそう伝えたからには、誰よりも私自身が楽しんで学びを進めていきましょう。実は「鈍器本」が何冊も「積読」状態になっています。その山を登ることを楽しみにしています。
良い夏休みをお過ごしください。